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アタシの大ッ嫌いな某東京都知事の四男が公費を使いヨーロッパに行っていたそうな。
アタシはそれよりも前から、この某○○軍団がバックに入る男尊女卑男のババアはいらない発言やら、障害者の「自分が何なのかもわかんないやつの意見聞いてもしょうがねえ」とか、数々のお前が爆弾なんだよっ!!って言いたい馬鹿男にこれ以上血税を払うのが本当に馬鹿馬鹿しいのだけどまたとんでもない事を言ってアタシをまた燃えさせてくれた。
「いじめにあって、死ぬとか手紙を出すなんて、甘ったれてるんだよ!!」とのたまいた・・・(◎_◎)
しかも「だいたい、いじめられるやつは甘ったれだからね」と耳を疑いたくなるこのワンマン男に本当に神の制裁はないのかと、こんなやつに投票したアホは誰じゃと声を大にして言いたい気分なのだ。
実は私は小学校1年生から6年生までいじめにあっていた。
理由は、家が貧乏だから・・・だった。
貧乏なのは本当の話で、それでも普通の貧乏ぐらいかなぁ?と思っていたら最近色んな友達と話していくうちに、結構ウルトラ級の貧乏だったような気がしてきた・・・。
まず、コロッケとか一人一個食べてなかった。何でも大皿でどかんと出てくるのだけど、コロッケ3つを10人ぐらいで突付いて食べていたし、てんぷらと言えばある程度の野菜は入れるのだけど、確か「コンフリ」だか名前は忘れたが、アタシがしその葉とかその葉っぱを外に取りに行き揚げていた。
海老とか入っているてんぷらは大人になって初めて食べた。
昔のウチにとって海老とは、大正海老でもブラックタイガーでも、もしくは桜海老でもない。「かっぱえびせんだ」!!(♪やめられない、止まらない♪)
何でそんなに貧乏だったかというと、ウチの家族以外に10人兄妹の長男である父の嫁にいってない伯母たちと何だか知らないけど、頼まれるとほいほいと誰でもタダで下宿させちゃうお調子者の両親の生き方でそうなったわけであって、アタシは本当に常に大勢の家族と共に育っていった。
ある日、自転車でその時に流行っていたシールを買いに行こうという事になったが、アタシは自転車も買うお金もなく「行かれないの」と言ったのがきっかけで始まった。
女子全員無視。
でもここがアタシの本当に馬鹿な所なんだけど、無視されてるって気付くのがすんごい遅くて、アタシの声が聞こえないのかとしばらく勘違いして大声で話しかけていた。
はっきりと気付いたのは、4,5人のグループに集中してバスケットボールをぶつけられた事で疑問から確信に変わった。
「いつも同じ服を着ている」・・・そう言われて臭いとか汚いとかえんがちょと言われた。
確かに服は無く、春夏秋冬2枚づつしかなかったし、でもきちんと洗濯をしてくれて、しかも洋裁を内職でやっていた母の手作りで私は大のお気に入りだった。パジャマというシロモノも着たことがなかった。古い服で寝る。当たり前のようにあんまりそのことに感じなかった。
親にも先生にも言わなかった。子供ながらに言っても仕方の無い事だし、アタシが親に言えば無理やり洋服を泣きながら作る母親の姿なんて見たくなかったし、父親は学校に怒鳴り込むに決まっている。だって別に洋服が一杯欲しいってその時は思わなかったし(今は・・・欲しい、あはは)、シールもそんなに欲しいわけじゃない。
ただ、そういう皆と違うという事でボス的女の子が「制裁で無視しよう」って命令してらしい。
辛くなかったなんて言えば嘘になるし、今でもこんなにはっきり記憶に残っているんだから当時は苦しんだんだと思う。ただ、救われていたのは近くの男の子だけど幼馴染や違う学年の子と遊んだり、一緒に学校に行ったり、兄の友人がよく遊んでくれた。それが誰もいなくても学校にはうさぎもチャボもいつも動物と遊んだりして過ごした。だから休み時間が苦痛なはずだけど、それは無くかえってクラスに戻るのが嫌で仕方なかった。
帰り道に神社があるのだけど、そこで学校の帰りにガラガラガラ・・・と鳴らして(明日は良い事がありますように)そうやって過ごしていった。
結局、あんまり変わらなかったけど、子供ながらにこんな根性の女友達なんていらないっていう気持ちに変り、まぁ根っから明るいのだけが取り柄だから、他のクラスの子や転校生や男の子と笑って過ごせる気力もあり、それは今思えば、自分が強かったのでも何でもなく家に帰れば大勢の明るい家族が待っていて、犬も猫もにわとりも金魚も文鳥も待っていて、貧乏だって笑いの耐えない大好きなウチだったから、貧乏が嫌だ!っていう発想にはならなかった。しかも、その頃には引越ししてきた同じ貧乏仲間の女の子がいて、ウチの近くに都営の母子寮と言って母子家庭の建物があって、そこにはお風呂がついてなく、もちろん我が家も無いわけだから一緒に銭湯に通い、その友達と同じ中学に上がり虐めは全く無くなった。
虐めてた子も私がその割りに元気だからつまらないのだろう、どんどん暗い地味な中学生になって狭いグループで過ごしていて、私はどんどん友達が増えていって中学校は楽しく暮らすことができた。
某馬鹿都知事の言うように、甘ったれだから虐めにあうのではない。何でもないほんのちょっとしたことがきっかけで、それも自分ではどうしようもないことが多いのだ。それに従う意志の弱い子が大多数のグループにいたくてこういう事が起きる。アタシはたまたまこうやってその時期を乗り越えたけど、それも家の暖かさと違う学年の人たちに可愛がられた運の良さだし、今でも思うのだがそんなちっちえー根性の友達なんてアタシは要らないって思えた事と「友達は量より質!」それが何よりの心の支えでもあった。
甘えられれば親にも先生にも泣きついていただろうし、それが出来るならとっくにやってるよ!!
でもね、死んだら駄目だと思う。死んだら終わるし辛いのも終わるかもしれないけど、親になって感じた事は子供の死を経験するほど辛い事はないもん。それは虐めの百万倍ぐらい親が悲しい思いをする。大好きな家族が一生悲しむ事になるんだから、それだけは駄目だと思う。
笑う角には福来る、いつでも笑っていたらそのうち良い事もやってくるし自然に良い友達が出来るし、人の悪い所じゃなくて誰でも欠点があるから良い所を好きになる。だってアタシも欠点だらけのポンコツだもん。
よくこんなアバウトなアタシと付き合ってくれる友達たちにいつももうじわけない・・・ぐらい感謝してます。はい。
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石川県にもサメの脳みそと言われるシンキロウ元総理大臣もいますけど(笑)。 ちなみに金沢とは選挙区が違いますけどね。
イジメですか・・・。私のような田舎にもあったとは思うんですけど、そんなにひどいことはなかったじゃぁないかなぁ。
イジメられっ子も誰か庇う子がいたし、でも、庇ったからってその子までイジメられてはいなかったけどなぁ。
そういえば、昔中学校の頃、当時流行ったインベーダーゲームのキャラに顔が似てるとか言われてからかわれてましたねぇ。
んん?もしかして、今思えば私もイジメにあってたのかも・・・。 うぅん、気づいていなかった?(笑)。